志村けん・愛弟子 初告白のエピソードが泣ける.....

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今ネットでは志村けん・愛弟子 初告白についてのヤフー記事が話題になっています!

 

志村けんさんの元付き人、乾き亭げそ太郎が語ったエピソードがとても感動的でした。

 

 

 

志村けん・愛弟子 初告白についての情報やネットでの反応を調べてみました。

 

こちらが記事の詳細です↓

志村けん・愛弟子 初告白についてのニュース記事

「他の人が知らない志村さんを僕はたくさん知っています。すごく大切なものを教えていただき、弟子のときは一緒にいることが当たり前でしたが、離れてより志村さんの存在の大きさがわかります。志村さんと一緒にいられた時間は贅沢で本当に夢のようでした……」

そう語るのは、3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けん(享年70)の弟子で、現在は故郷の鹿児島でタレントや、ご当地レポーターとして活躍する乾き亭げそ太郎氏(49)。「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)ではメガネをかけた家来として出演。

90年代に「ドリフ大爆笑」や「志村けんのだいじょうぶだぁ」(ともにフジテレビ系)など多忙を極めた志村と7年間、365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。師匠の突然の訃報を受け入れられず、一度は取材を断られたが、「志村さんの芸に対する思いを少しでも皆さんに伝えられたら」と、「文春オンライン」にこれまで語られることのなかった“師匠・志村けん”の横顔を明かしてくれた。

「師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから『さん』付けで」
げそ太郎氏が師匠・志村との出会いを振り返る。

「子どもの頃からドリフターズの志村さんが大好きで、94年11月、23歳のときに芸人になりたいと思って鹿児島から上京しました。志村さんの番組を観ていたらいつも番組のエンドロールに『イザワオフィス』と書いてあったので、事務所に行けば志村さんに会えるかもしれないと思って、なんの連絡もせずに事務所を訪ねました。そしたら、ちょうど志村さんの運転手を募集していて、面接を受けたら合格したんです」

げそ太郎氏が初めて志村と顔を合わせたのはその1週間後。麻布十番にある志村の行きつけの喫茶店だった。

「緊張してあまり記憶がないのですが、志村さんに『芸人を目指してオレのところに来ても、教えることはないぞ』と言われました。そのときに僕が『これからは志村さんのことを師匠と呼んでいいですか?』と聞いたら、『芸人たちはオレを師匠と呼んでいるけど、自分の弟子から師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから「さん」付けでいいから』と言われました。なので、僕は志村さんのことを一度も“師匠”と呼んだことはなく、今でも“志村さん”と呼ばせていただいています」

慣れないリムジンで恐る恐る運転したら……
弟子の主な仕事は運転手。志村の自宅近くに家賃4万円のアパートを借り、1000万円以上する高級外国車リムジンで志村宅を訪れ、仕事場から自宅まで送迎するのが日課だった。車中での志村はビートルズや吉幾三、吉田拓郎の曲を好んで聴いていたという。

「田舎から出てきて急に高級車なんて初めてですし、左ハンドルも経験がありませんでしたので、もう怖くて仕方なかったですね。恐る恐る運転して、心配になって後部座席に乗る志村さんをバックミラーで見たら、信号待ちで車が止まる度に通行人にお辞儀をしているんです。そんなことが何日か続き、僕が『志村さんは凄いですね。信号待ちする度に通行人に頭を下げているので、びっくりしました』と話したら、『違うよ! お前がブレーキをいつも強く踏むから頭が前に倒れるんだよ』と、笑いながらツッコまれました」

やってしまった「リムジン擦り傷事件」
弟子の休日は自宅でポケベルを握りしめての自宅待機。志村が休みの日でも、飲みに出かけるときの送迎は弟子の仕事だった。リムジンを運転してから3カ月経った夜、げそ太郎氏は師匠を送った後、車に擦りキズを付けてしまった。

「志村さんの乗り降りするドアの辺りに大きなキズを付けてしまい、顔面蒼白になりました。その日は志村さんがお気に入りの女性とのお食事で、悩みましたが、正直に言うなら今日しかないと思い、飲んで機嫌よく女性と戻って来たときに『志村さん、すみません。擦ってしまいました』と謝ったら『おお、まあ仕方ねえなあ』の一言だけでなんとか怒られずにすみました。

運転手の仕事で一番大変だったのは、飲んでいるときの待ち時間です。ある日、志村さんを夕方くらいに飲み会の場に送ったのですが、10時間経っても出て来ない。“志村さん、もうタクシーで帰っちゃったのかな”と不安になっていると、車に戻って来たのが17時間後の翌朝10時というのが最高記録でした。どうやら酔って途中で寝てしまったそうです」

当時の月給は12万円。それでもげそ太郎氏は、志村に対して「感謝」の気持ちしかなかったと語る。

「365日、ずっと志村さんと一緒だったので、家賃以外にお金を使うことがありませんでした。志村さんが飲みに行ったり、誰かとご飯を食べるときは、必ず『これで何か食べろ』と1万円を手渡してくれました。僕も弟子という身分でお金を稼ごうとは思ってもいなかったので、毎回ご飯代もいただいて、申し訳ない気持ちでしたね。今でも感謝しているのは、初めて食べるあらゆる高級な料理はすべて志村さんに連れていってもらった。スッポンにカウンターのお寿司、フカヒレなど数え始めたらきりがありません」

「何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか」
皆に笑いを届ける国民的コメディアン・志村。一方で、弟子に見せる“師匠の顔”は厳しかった。

「現場で志村さんから目を離したときはよく叱られました。志村さんがタバコを吸いたいときに用意が遅れたり、汗をかいたときにタオルの準備ができていないと、『オレが今、何を思って、何を考えているか読めよ。芸人は目の前の1人の気持ちを分からなくて、テレビの向こう側にいる何百万、何千万人の視聴者の気持ちがわかるわけないだろう』と注意されました。

また、志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。ある日、僕が一度だけ大幅に遅刻してしまったことがありました。収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに『お前、ナメてんのか! オレは1日がマイナスからのスタートになるから遅刻は嫌なんだ。“すみません”のマイナスからのスタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか』と、朝の7時まで説教を受け、本当に申し訳ないと思いました」

弟子になって3年、弟子を辞める決意を告げると……
弟子になって3年。四六時中、志村を支え続け、ネタを考える時間が欲しいと考えたげそ太郎氏は弟子を辞めることを決意。志村にそのことを告げると、一喝された。

「『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』と言われました」

志村は一度、ドリフターズの付き人を辞めて、バーテンダーなどをした過去があった。1年半後に付き人に復帰し、お笑いコンビ「マックボンボン」での活動を経て、ドリフターズの一員となった。げそ太郎氏は、それを機に毎週ある志村の番組会議にネタを出すようになった。

「僕の出すネタは当然、会議では箸にも棒にも掛からないんですけど、ある時、家族コントが1本通ったんです。それから2本、3本と少しネタが通ると、志村さんから『メシ食いにいくか?』と声を掛けてもらって、『お前はやればできるんだから、芸人としてがんばれよ』と照れ屋の志村さんが初めて褒めてくれました。97年に、ディレクターさんが志村さんに『こいつがんばっているので、バカ殿の家来にも使ってみませんか』と助言してくれて、『バカ殿様』への出演が決まり、志村さんと念願の共演ができました。心の底からうれしかったですね」

志村けん・愛弟子 初告白に関連するWiki情報

乾き亭 げそ太郎(かわきてい げそたろう、1971年1月19日 - )は、日本のお笑い芸人・ローカルタレントである。本名、櫨木 信一(はぜき しんいち)。
鹿児島県鹿児島市出身。元太田プロダクション所属。身長174cm、血液型B型。旧芸名ははぜき 信一。

 

世間の皆さんは今回の志村けん・愛弟子 初告白の件についてどんな感想をお持ちなのか!?気になる反応はこちらです↓

志村けん・愛弟子 初告白についてのネットの反応

志村さんの人柄がわかる記事。
厳しかったがそれが優しさだと
伝わりますね。教えて貰ったこと勉強になったことたくさんあって今の自分がいらっしゃるですね。
厳しさもあるけど、きちんと理由があるし、
正直に謝れば高級車傷つけても許してくれる。
面倒見の良い、素晴らしい師匠。
ドリフの付き人時代に、いろいろ学んで
基礎が培われたんだろうな。
近くで見てきた人だからこそわかる事が多かったんですね。芸には本当に厳しく、真面目に演じて妥協していなかったのがわかります。
なんか久々にいい記事を読んだ気がします。

内容もきちんとしているし長さも凄く良い。

もっと読んでみたいなと思わせる良い記事でした。

志村ってほんとに性格いいんだなー。
リムジン傷つけてもいいけど遅刻は許さない。
これはすごい。
急ブレーキも聞かれるまで注意しない。

あと酔っぱらいの演技に対する考え方はすごい。
主演映画、観たかったなあ、、

いい話でした。弟子だけが知る話で売込みだからもなく、本当に志村けんさんを慕っていたのが分かりますね。特に志村さんのこの言葉は、彼でなくても心に響きますね。

>『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。

普通だったら田舎から出てきた若者にリムジンの運転手はさせないでしょうね。どこか人柄が気に入ったんでしょう。再会の写真…心残りでしょうが志村さんとの思い出は他の人には経験できない時間、大切にしていただきたい。
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